𣇃米公民館の白ポスト
山梨県富士川町の白ポストを巡る旅、本日ご紹介するのは𣇃米公民館の白ポストである。以下のマップでは番号(4)に相当する。撮影は2019年11月。
𣇃米は「つきよね」と読む。これは相当レベルの高い難読地名である。
ちなみに、鳥取県にも同様の地名が存在するが、こちらは「つくよね」と読むようである。端末環境によって、この文字が表示できない方もおられるかもしれない。
𣇃米は甲府盆地の西南端に位置する集落で標高も高い。周囲は道路の傾斜もかなりのものになっている。
では、さっそく本題。こちらが𣇃米公民館だ。直方体タイプ。本体の材質は木製だが、側面を金属フレームで補強し、そのフレームがそのまま支柱になっている。
投函口上には蝶番状の構造物が確認でき、屋根の部分が前面に開口するのであろうことが推定できる。回収口が上にあるのは、富士川町オリジナル白ポストの顕著な特徴である。
横から見るとこんな感じ。屋根部分は後方に向けて緩やかに傾斜し、雨水を後ろに流す構造となっている。
投函口部分を拡大してみるとこんな感じ。合板を張り合わせた本体構造が確認できる。ちなみに内部は空っぽ状態であった。
ストリートビューで見るとこんな感じね。建物側面も味わい深いので是非見ていただきたい。
𣇃米公民館公民館は登録有形文化財
少し引いたところからもう一枚。𣇃米公民館公民館の入り口、向かって右に白ポストは設置されている。
ところで、この𣇃米公民館公民館、びっくりするほど堂々たる佇まいなのだ、何者なのだろうか。
こちらは公民館の全景を収めたもの。屋根部分は入母屋造り。重厚感のあるどっしりとした日本建築である。大きくせり出した庇部分が印象的である。
こちらは庇の下から見上げた写真。かなり広い空間が屋根で覆われているので、雨天時や降雪時には助かることであろう。人が多数集まる公民館ならではの工夫と言える。
帰宅後調べてみたところ、この𣇃米公民館は国指定の登録有形文化財であることが判明した。創建はなんと昭和3(1928)年というから驚きである。
なお、入口左手の植え込みには「𣇃米学校跡」の碑が置かれていた。
富士川町のシンボルとして名高い太鼓堂は、もともとは𣇃米に建てられていたもので、それを示した碑である模様。
さらに、建碑記も建てられていた。
𣇃米の棚田が素晴らしい
おまけ。𣇃米公民館の周辺は傾斜地を利用した棚田が広がっており絶景であった。季節が11月であったので稲は刈り取られてしまっていたが、春から秋にかけては見事な情景を目にすることができるはずである。